毎週日曜日に通っているスポーツジムが入るビルの下に10カ月前安部元総理が銃撃された現場がある。事件当時あったガードレールは取り外され、今は西大寺駅前再開発事業で綺麗に整備され、あのような悲惨な事件があった跡かたはどこにも残っていない。人は何事もなかったかのように、事件現場の交差点を通り過ぎ、道端の人工芝で子供連れの家族が遊んでいる。
事件直後あんなにたくさんの人が花を持って現場を訪れたのに、粛々と時が流れ、事件のことが忘れさられていくことに寂寥感を感じずにはいられない。
安部政治に対する評価については非難されることが多い。国葬について反対意見が圧倒的に多かったのは当然とも思う。
私は、安部政治のなかで、最も罪深いのは、森友事件の際に誰でも分かるような嘘を国会の場で平気でついて、世の中、とりわけ日本の子供に悪い影響を与えたことだと思う。また、事件後には旧統一教会とのつながりも明らかになった。
しかし、安部政治の良し悪しと関係なく、私は安部が可哀想でならない。こんな場所で思いもかけず理不尽に突然命を奪われた彼の無念は計り知れない。
安部が日本のために奮闘していたことは確かであり、一次政権の失敗から彼は多くを学び、二次政権ではG7でメルケル首相など世界の首脳の前でトランプを説得するほどの堂々とした姿を世界に見せつけるまでに成長した。日本の政治家で、あのように世界の政治の場で堂々と振る舞える首相はそういないはずである。
事件現場の道路を管理する奈良市長は、事件直後は現場に慰霊碑のようなものを建てたいと言っていたが、その後は世間の風潮を気にしてか何もしない。
この現場を通る度、この場所で戦後最長在位の総理大臣を銃撃する悲惨な暗殺事件があったことを記すせめてメモリアル程度のものを何故建てられないかといつも思う。